5/13/2013

「力」単語・・・


以前にも触れたことある:
http://blogs.yahoo.co.jp/thoacu/60198723.html
その時選挙の際自民党がどこかのポスターで自己宣伝の為に威張って、
自分(達)は「責任力」があるなんて。

その時に始まったかどうかが分からないがどこかの言葉に「力」を付けるのは最近流行っているようだ。これから別の書き込みに出てくる「発信力」そのそのような例である。その場合、日本は世界に向けて世界に分かる形に(日本語より英語や他の言語で)情報を公開する事に関する記事だった。国語辞典などな参考資料にはどこにもない。ならば、真面目な人だったらとりあえず「既に存在する表現」を使うべきではないでしょうか。

そういう意味が良く分からない表現に走ってしまうのは「チャントした日本語で表現出来ない = 能「力」が足りない」のではないかと疑問を持たざるを得ない。
私の日本語は決してよくないから、本来発言の権利はないだろう・・・

それとも、あの言葉を使う人は自分の発信力に十分な責任力を持っているだろう。
私はきっと理解力が足りない。肉体労働者としての馬鹿力(ばかちから=チャントある言葉)じゃ助からない。間抜け力はあるのみ。
馬鹿な私は書き記す力が不十分だだら黙るべきだろうが、おしゃべりだから「力」単語・・・もない・・・・・・・

追伸:
出ました!!!
今日の新聞(2013/5/19)にいつものように一面の一番の段に本の広告あった:
タイトルに「食事力」が出た。
やろうとしている事 - 食事療法をうつ病の治療に応用する事 - が何とか分かるが、その言葉・・・
著者の一人は医師。よって大学で勉強したはず。それでも分からないのか・・・
それとも「何でも力」に違和感を覚えるのは私一人ですか???
この追伸の一行目を書き直そう:
***** 今日力の新聞力にいつものように一面力の一番下の段力に本力の広告力あった:
タイトル力に「食事力」が出た。***** 
快感そのものだろう。

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